【私の開業ストーリー②】働く人がキラキラと自分の力を発揮する世界を目指して
全4回の内、2回目です。続きをどうぞ。(前回はこちらから)
2.「社労士」試験を受け、合格するまで
社労士試験の合格率は例年5~10%程度で、直近2023年は6.4%でした。
私が受ける十数年前も、大体そのくらいの合格率でした。
それを見て、100人受けて6,7人しか受からないの?!と、当時の私は一瞬ひるんだものの、私に残された時間は少ないし、初めて本気でやってみたいと思えるものに出会えたのだから絶対合格する!と心に決め、決意が揺らぐことはありませんでした。
そう思い立ったら、絶対合格の目標を掲げて、あとは戦略が重要だと思い、どう勉強するかを検討しました。
当時は自宅でe-ラーニングという環境はありませんでしたので、独学か資格学校への通学のどちらかです。
私は自分を追い込むつもりで、あえて費用の高くて、通学という時間も手間もかかる方法を選びました。
資格学校は自宅の隣の市で、車で片道30分の距離です。しかも、費用は当時30数万円したと思います。
意志薄弱な私が合格するには、後戻りできない環境に身を置くことが必要だと思いました。
それからは、毎日8時間仕事をした後、平日は3日、土日は少なくとも1日は資格学校に通う日々でした。通学しない日は帰宅した後、自習です。
当時は、自宅でe-ラーニングを受講する環境がない時代でしたので、資格学校のパソコンで先生の録画授業を視聴して、学習を進めるスタイルでした。
それこそ、雨の日も風の日も、暑い日も、隣の市の資格学校に車で通いましたね。。。
動画視聴・テキスト読込み・ミニテストを繰り返し、繰り返しやっていました。中盤~終盤は過去問を繰り返し解くことと、模試も受けました。
とにかく、当時は雑念と眠気との闘いをしていました(笑)
雑念は、家族や友人が楽しく遊んでいる時に、自分だけ孤独に頑張らなければならないことのつらさですかね。(これはある時期から逆に勉強が楽しくなってきたので、乗り越えるのに時間はかかりませんでした)
それと、臨時職員の給料が低くて、お金の自由がなかったこともかなりのストレスでした。。。
(友人がボーナスの金額の話をしていた時には、自分の賃金待遇が情けなさすぎてとても言えませんでした(泣))
それでも、私に残された道はこれしかありませんでしたので、机に向かう日々です。
ただ、8時間勤務後の勉強は正直つらかったですね。疲れて常に眠かったことを覚えています。
そうすると、勉強の効率も目に見えて落ちて、全然頭に入ってこない状況になります。
特に社労士試験は暗記部分も多いので、眠くて頭が回っていない時には、潔く寝ることを対策としてやっていました。
我慢しても意味がないので、15分だけ寝るとか決めて、仮眠を取った後に再開していましたね。
(これが結構おすすめです)
そうやって、1年間勉強をして、本番の8月第4週の日曜日を迎えました。
試験当日は遠方(隣県)だったこともあり、前日に現地入りし宿泊して、当日会場までバスで行きました。
会場が宮城県の「夢メッセみやぎ」で、東京でいう「東京ビッグサイト」のような会場でした。
だだっ広い空間に、長椅子とパイプ椅子が並べられ、会場には2000人ほどいましたが、異様な光景ですよね。
試験の最中は、緊張で手汗がものすごくてシャーペンが滑ったことと、分からない問題が出た時に焦りがすごくて、時間内に全ての問題が解けるかハラハラしていました。
年に1回の試験ですから、しくじれないという緊張感は半端ないです。
何とか午前・午後と試験を受け、終了後は会場の外で資格学校の職員の方が、解答速報の紙を無料で配っていたのでそれをもらって、帰路につきました。
試験後は合格発表の日まで、3か月弱、絶望の時でしたね。
というのも、解答速報でもらった模範解答と自分の解答を採点していて、1か所足きりにひっかかっている可能性が出ていました。
落ちた、と思うとこれまでの1年間が無駄だったのか、という気持ちでいてもたってもいられませんでした。
そうは言っても本当の合格発表まで結果はわかりませんので、わずかな望みをもちつつ、その日を待ちました。
11月の合格発表日に、サイトに合格者の番号が掲載されるのですが、自分の番号を見つけるまで、落ちているものだと思っていたのですが、なんと自分の番号があるではないですか!
その時は、信じられないという気持ちで、本当に嬉しくて嬉しくて飛び上がるくらいでした!家族も祝ってくれたことを覚えています。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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